もくわく的 わくわく暮らし
お片付けじょうず 〜なぁんだ、引き出しじゃなくってもいいんだ〜
2025.09.27(Sat)
毎日が、息つく暇もなく折り重なり、積み上がってゆきます。やるべきことも、やりたくないことも、やらなくていいことも。
次々と目の前に現れては、インベーダーゲームのように一つ一つをやっつけてゆく。
けれど、またすぐに「次」がやってくる。
本当は、丁寧な暮らしを営みたいのだけれど、セコセコと動き回る小動物のように過ごし、今日もごはんを作っています。
そんな毎日が続くと、ズンズンと部屋の中が澱みはじめて、空気が少し重くなる。
テーブルに置かれた郵便物。
しまい忘れた11円。
椅子の背もたれにデロンとかかった、一昨日着たカーディガン。
本当に不思議なのだけれど、モノはモノを呼びよせていると思う瞬間でもあるのです。
えい!や!と気合を入れて重い腰をあげるとき、いつもつぶやく独り言があります。
「はぁ。お片付けじょうずが羨ましい……」
そう、私は本当にお片付けが苦手です。と言うと、いつも驚かれるのですが、みなさん、インスタグラムに騙されていますよ。
いや、騙しているのは私だ。
苦手というよりも下手っぴなんですね。 きっと。
引き出しの中の仕切りを無視する性分。
モノたちの住所録は全て「大体あのあたり」。生粋で筋金入りで生まれながらの面倒くさがり。
モノのお片付けがうまくいくはずがありません。
不思議なことに家事の苦手って、「数学が苦手」「読書が苦手」「運動が苦手」のように大きなコンプレックスになるわけではないのですが、少しずつ心をついばまれているような傷のつき方をするのです。
例えば、幼い頃の「運動が苦手」は、学校を卒業すれば、実は逃げることができたりするのですが、家事って逃げられないのですよね。
それはきっと、生きてゆくのに必要だから。
がとっても大きな理由なのです。
それでも少し前に比べれば、脇に避けたり、逃げる方向に道ができました。
お料理が嫌いで苦手なら「やらない」という道もあるし、お掃除ロボットだって現れた。
でも、お片付けだけはまだ「やらない」という方向への道の幅が狭いような気がするのです。
思い返せば40歳になった時、「さてと」と考えたことがあります。
女性の平均寿命が80歳を超え、自分自身がちょうどはんぶんこの年齢に辿り着いたことに驚きを隠せないのはもちろん。
その「残りの時間」の質を考えた瞬間でもありました。
偶然か必然か、宮崎駿監督が新しく制作に入ったという映画のタイトルが「君たちはどう生きるか」という話題に、ちょっぴり心をヒリつかせながら、深く深く考え込んだこと。
やめること、やらないことを決めて、残りの人生は軽やかに生きてゆきたい。
この先きっと訪れる夫と私の両親の介護。
3人の子どもが成長してゆく中、自分の働き方をどうしよう。
自分たちにやがて訪れる人生の秋と冬。
いったいどれくらいのお金があれば苦労なく人生を閉じることができるのか。
出来るだけ自分の足で、自分の頭で、いつまでも元気でいるには今から何をする?
人生ってなんて難題だらけなのでしょう。
答えがない問いばかりではありませんか!自分以外のことで圧倒的に時間を持っていかれてしまう毎日に、何かを根っこから変えなければいけない気がして選んだことが「もう片付けに悩まない人生にする」だったのです。
料理にも掃除にも悩んだことがなかったのに、お片付けだけはずーっと頭を悩ませていて、とにかくもう、その悩むことを終わらせたいと思ったのです。
頭の空きスペースを作りたかったのかもしれません。
ところが、本や雑誌を買ってその通りにしてみても、私の場合全然うまくいかないお片付け人生を歩んできました。
ここまでうまくいかないのだから、きっと何か理由があるはず。と、その足元を掘り起こしてみたら。
お片付けは全てを仕舞い込むことだと勘違いしていた。のです。
だからこそ、引き出しを仕切らなければ!と思っていたし、仕舞って隠れるのだから、住所は細かく決めなければ!と思っていたし、面倒くさがりなのに、仕切りにきちんと戻せない私は主婦失格どころか人間失格だと思っていましたっけ。
でもよく考えてみたら、お片付けが仕舞い込むことだなんて、誰もどこにも書いていないのです。
だったら「引き出し」「押し入れ」「クローゼット」などに縛られなくてもいいんじゃないかな?お片付けだって、自分の気持ちや「好き」を優先にしていいんじゃないかな?そんなふうに考え始めました。
そこでお家の収納をフリーラック+かごをメインにすることに。
これが、面倒くさがりの私に合っていたのか、お片付けの愉しいこと、愉しいこと。
お片付けの道具をカゴや木箱などの天然素材にして、大好きなものが目に入る空間になったことも嬉しい変化だったのかもしれません。
「なぁんだ、引き出しじゃなくってもいいんだ」と気づいてから、人生が3倍くらい愉しくなった。
大袈裟じゃなくって本当に。それは、もくわくさんとの出会いもとっても大きかったのです。
一生ものと言ってもいいほどの出会いだったのかもしれません。
大きな家具も持ちたくなかった私の暮らしに、ピタリと合ったもくわくさんの家具。最近元気がない日本を応援したいから、日本の森からできる家具が嬉しくって。触れるたびに心地よさが身体に伝わる無垢の素材を生かした作り。
パリの蚤の市で買ったヴィンテージのかごやフランスのマルシェかご、日本の竹製のかごやあけびのかご。
ベトナムのカラフルなかごやタイの素朴なかご。
そんないろんな国のかごを、もくわくの家具はどっしりと受け止めてくれる。
そんな懐の深さも愛おしい理由です。
日本の職人さんが思い入れたっぷりに作る、物語の宿る小さな家具。
それがもくわくさんの素晴らしさ。
この小さな家具に出会ったことで、私の片付け人生は終わりました。
人生の半分ほど、片付けが下手っぴな私に悩み続けたけれど、あの時、物事の根っこを考えることで、新しい人生の地図を手に入れたように感じます。
片付けなんて、さっさと終わらせて、自分の人生を踏みしめて歩く。
時間はそのためにあるのですものね。
文・写真:梨田 莉利子
莉利子さんが使っているもくわくカウンターはこちら!
highの高さで、てんばんオーダーです。